私はトイレに行くため、部屋を出た。
しばらく歩いて、女性用トイレを表すピンク色のイラストを見て、あることが自然と思い出された。
それは、前からずっとふとした時によく思い出す光景だ。
「これからあなたにいくつか質問します。わからないことやできないことがあれば、教えてください」
その人は、年老いた男性でスーツを着ている。
その人以外にも、数人の男性と女性が近くにいる。
そこにいる私以外は、この場所の関係者かな。なんとなくだけど、そんな風に感じた。
不思議な感じだけど、今私自身が別の時間の私を見ている状態なのだ。
でも、人がたくさんいることがなぜか怖かった。みんな同じスーツを着ているからかな。
その場所はかなり広く、全体的に白を基調としている。照明の形はシンプルだけれど、オレンジできれいな色をしている。
でもその明かりは小さく、部屋全体がどんな感じかはわからない。
温かみを感じそう色合いなのに、そこからは全然温度を感じられない。そんなこともアンバランスというか、違和感を感じる。
シーンは突然変わり、私は、そこで『できない』と答えていた。
その度にその人は手に持っているにタブレット端末に素早く何かを入力をしている。
その光景は、なぜかヒビが入ったようにゆがんで見えている。
いつの間にか「今日はこれで終わりです」と、その人が言っている場面に変わっていた。
目の前にいる私はその場からすぐに出るように促されている。
「『ピンク』だ!」や「『ピンク』よ!!」いう声が中からどんどん聞こえてくる。
その声は、どんどん勢いを増していく。
一方、そこにいる私の姿は、どこか弱々しかった。
そして、その場所を出て、長椅子に座ってる私の姿が万華鏡の中のようなきれいな模様ように浮かび上がってくる。
万華鏡をゆっくりと傾けるしゃららという音が聞こえてきそうなぐらいリアリティがある。
その中の私は、突然顔を上げた。
あなたは、ここがどこかわかる?
そんな声が聞こえた気がした。
私はそこでハッと我に返った。
周りを見回して今ここはカラオケ屋さんのトイレの前だとわかり、私は安心した。
やっと私は、あの光景から抜け出すことができた。
この始まり方をすると、毎回一ミリも違わない光景で終わる。夢を見ていないのはわかるけど、それに似た感覚だ。怖い夢を見た時、夢の中で声を出したくても声が出なかったり動けない。日によって途中で止まることはないし、私が無理やり止めることもできない。つまりは、私がその光景をどう感じていようと、始まると必ず終わりまで見続けなければいけない。
あれが何の光景か、私には全くわからない。確かに私の記憶力は決していい方とは言えない。でも、ここまでわからないことはさすがになく、ただただ不気味だ。
だからというわけか、思い出すといつも気持ち悪くなる。
わからないから気持ち悪いのではない。そもそも断片的な光景で、話が続いているかさえわからない。
わからないことなのに、気持ち悪いまでの負の感情を普通は抱かないはずだ。
まるでこの光景を見ることを、私自身が拒否反応を示しているようだ。
この光景は、一体何かな。
私はなんのためにその日、あの場所を訪れたのかな。
いくら記憶をたどっても、その答えにたどり着くことはない。もう何度も何度もしたからそれはわかっている。でも、私はいつもあがいてしまう。
だって、この光景には何かありそうな気がするから。
まだ心臓はドクドクと早く動いている。
部屋に戻ると、彼が「少し遅かったけど、大丈夫?」と聞いてきてくれた。
私は「うん」とだけ答えた。
彼の顔を見て話すことができず、少し斜め下の方を向いた。
謎の光景が頭によく浮かぶことを、私はまだ彼に話せていない。
「どんなことでも、秘密はなしだよ」と結婚した時に約束したのに、私は彼の反応が怖くてこのことを言えていない。
だって自分でも何かわからないことをよく思い出すなんてきっと普通じゃないから。
後ろめたさはもちろんあるけれど、何より私は彼にひかれたくないと思っている。
彼にひかれたら、私はどうしていいかわからないから。
「次は私の番かな」と明るい声で、私は歌をまた入れた。
何事もなかったように振る舞った。
その後、三時間ほど歌い続けた。
あの光景を見たけど、私は必死で現実世界に居続けた。
少しでも気を抜くと、またあの光景が頭に浮かびそうな気がした。
そんな風に気を張り続けていると、いつの間にか予想以上に疲れていた。
彼は「今日はもうそろそろ帰る?」と聞いてきてくれた。
私はこんな感じでいつの間にか体力が底をついている状態になることが多い。
ちょうどいいぐらいというのがいまいちわからない。
彼はさらに、「歌い忘れた歌はない?」と頭をなでてくれた。
私はその声に頷いて、カラオケ店をでていった。
帰り道にまた『幸せ割引』について考えようと思った。
私は『幸せ』について再度考えてみることにした。 これまで何度も考えてきた。考えることで、本当に様々なこと知った。きっと今なら前よりもたくさんのことが浮かぶ自信があった。 何かに自信がもてるようになったのも、幸せについて考えるようになってからだ。それまでは、何かができても「私なんてたいしてことない」と素直に受け入れられなかった。 自分でもこんなに変わったことに驚いている。 人は、いつでも変わることができるようだ。きっかけさえあれば大きく現状が変えられる。 私が幸せと感じるには、自分自身を大切にできていることだけでなく、『愛する人が幸せでいること』も大切なことだとわかった。 だっていくら私がしたいことなどをたくさんできて心が満たされていても、彼の苦しそうな顔をみると私はそれを無視したまま笑顔ではいられないから。ほっておくことなんてとてもできない。 彼がそばにいて素敵な顔をしていると、私も元気をもらえるし嬉しい気持ちになる。 私は、彼と共に『幸せ』を掴みたい。 それは平坦な道ではないかもしれない。違う考えをもった二人が、お互いに無理したり我慢しすぎに支え合う。言葉だけだとそこまで難しく聞こえないけど、歩み寄り、二人でちょうどいい距離感を見つけてることはきっと私が思っているよりずっと時間や労力がかかることだろう。何も障害や病気をもっていない二人でもそれを見つけることは難しいかもしれない。 私には、障害がある。 それでも、私は幸せになることを諦めたくない。どんなに困難なことに直面しても、たとえ心が疲れても、その思いだけは揺らがない。 そして、彼に支えられるだけでなく、私も彼を支えたいと思った。確かに私のできることはすごく小さなことかもしれない。障害のためにきっと私の方が彼に大変な思いをさせることが多いと思う。これまで彼が大変な思いをしていることにさえ気づけない時がたくさんあっただろう。また、彼がたくさん愛情を注いでくれているのに、私はそれにも気づけず、「なんで私のことをわかってくれないの?」と勝手に一人もやもやもしていた。ひどい言葉を言ったこともあったかもしれない。 私は一つの感情に支配されやすいし、すぐにいっぱいいっぱいになって何事も一気にはできない。それは本当に申し訳ないと感じている。ふとその今の気持ちを言葉にしてみようと思った。上手く言えるか
私には発達障害のためにできないことがある。 どんなに頑張っても、悲しいけれどできない。でも、ただ嘆いていても何も変わらないと思った。 私の様々な能力をもしグラフで表したら、すごくでこぼこしていると思う。できることととできないことには、かなりの差があるようだから。 他の人のグラフは、きっとそんなに差はなくどれも平均値ぐらいの数値で、でこぼこはしていないだろう。きれいな形をしていると思う。 不恰好ででこぼこな私には、きれいな形をしている他の人のことが羨ましかった。 他の人を羨む気持ちはまだどうしても頭に浮かんでくる。 でも、そんな私にもできることは多少はあることは確かだから、できることに意識を向けたいと思った。 私は辛さをずっと抱えたままではなく、先に進みたいのだから。 私ができることってなんだろう。 何かを継続することは割と得意だと思う。集中することも得意だ。単純作業も苦だとは思わずすることもできる。 また、アイデアを考えたり絵を描いたりという物作り系は全般的に好きだ。 好きというワードで考えると、子どもは好きだ。小さな子に会うといつも懐かれる。また、街中でも、なぜかおじいちゃんやおばあちゃんにもよく声をかけられる。子どもやお年寄りの相手をする仕事は向いてるかもしれない。 話をすることは苦手だけど、話を聞くことはもしかしたらできているかもしれない。または、私に他の人よりも話しかけやすい雰囲気があるという可能性もある。 こうやって考えることは思っていたより楽しかった。自分のできることに目を向けるの悪くないと思った。これからもっともっと自分のできることを探していこうと決めた。 そして、できることをさらに伸ばして、できないことは彼や周りの人に手助けしてもらおうと思った。「できない」と言うことも、助けてもらうことも自分の人生をよくするためならしてみようと思えた。確かに相手にとってはそれをすることで、大変になることもあるかもしれない。でも、まずは私がこれができないと伝えることが大事で、それにはきっと意味があると思った。 相手に余裕がなければ何もしてもらえないこともあるだろうけど、まず私のことを知ってほしい。 だから、私はまた彼の書斎のドアをノックした。 すぐに「入ってきていいよ」と声が返ってきた。 そもそも私たちは基本家にいる時は、いつも
私は、『障害』と向き合う覚悟を決めた。 ずっと現実を受け入れたくないと思っていた。いや、自分に障害があることがどうにもしっくりときていなかった。辛いことは確かにあるけど、私がもっと頑張ればなんとかなると思っていた。 でも、過去の辛かったことを思い出し、障害の特徴と照らし合わせてみると、あれは実は障害のためにできなかったのかと納得のいくことがいくつかはあった。 自分が障害とまっすぐ向き合えていないとわかった。 苦しくなることは、今後も変わらずたくさんあると思う。それがなくなることは決してない。 向き合うことで何が変わるか、現時点ではわからない。もしかしたら何も変わらないかもしれない。 苦しいことにわざわざ目を向けるのはとても勇気のいることだし、前に進むことが怖い気持ちももちろんある。 基本今のことだけですぐに頭がいっぱいになる私だけど、障害のことを考えると未来のことが少しだけ頭に浮かぶ。 未来のことを色々と考えたことなんて今までほとんどなかった。そもそもそんな発想が私にはなかった。未来のことを考えるとこんなにも苦しくなるのかと、正直戸惑っている。 でも、苦しみは何もしないでいつの間にか完全に消えてしまうということはない。それは私の今までの経験からよくわかっている。 確かに『時間』が解決してくれることもあると思う。でも苦しみの根本とはいつかは向き合わなければいけない。根本を取り除かないと苦しみはいつまでも消えずに、心の中に居続ける。全て向き合うことで、本当の意味で問題解決できたといけるのではないだろうか。 そもそも私はこの短期間で本当にたくさんのことを考えてこれた。まずはそのことをめいっぱい褒めたい。少し前に彼に褒めてもらえて嬉しかったから、今度は自分で自分を褒めてみようと思った。いいことはどんどん増やしていっていいから。きっと自分を褒めることはおかしなことではない。 そして、一生治らないのであれば、できない自分をずっと責めるより、『障害だからまあ仕方ないよね』と少しでも障害を受け入れた方が気持ちが楽になる気がした。 また、今の気持ちや感じたことを、大塚に伝えに行かないと決めた。 たとえ私がなんと言おうと、相手はおもしろがるだけだろうから。もうそんな風に誰かに振り回されたくない。わざわざ相手の思う壺になる必要はない。 そのことは彼にも
どうして彼はこんなに障害に詳しいのだろう。 彼はもちろん医者でもなければ、医療系の学校に行っていたという話を聞いたこともない。 発達障害という名前ぐらいは知っていても、詳しく知らない人の方が遥かに多い気がする。メディアで取り上げられいても、わざわざそのことについて調べる人は少ないだろう。だから認知度や理解はきっとまだまだ低い。それに本人である私ですら、わからないことがあるのだから。人によってでてくる症状も様々なところが発達障害をよりわからないものにさせているとも彼は言っていた。 また、どうして障害のある私を拒否せず、理解を示し無条件で受け入れてくれるのだろう。 普通障害があると聞くと、一歩引いてしまいそうなものだ。さらに、夫婦として一緒にいるなら大変なことの方が圧倒的に多い気もする。障害があるとわかったのは最近だけど、先天性のものだからこれまでにも彼の前で変な発言や行動をきっとしてきただろう。 なんでそんなことするのかな? とわからない時もたくさんあっただろう。苛立ったときもあったかもしれない。でも彼は普通と違い変わった人である私と、別れるという道を選ばずに結婚までしてくれた。 私たちは確かに愛し合っている。でも障害とはそれ以上に大変なもので、どんなに愛があっても乗り越えられないかもしれない。いつか彼の心が限界を超えて私を振る時がきたら、それはすごくすごく悲しいけれどそれよりもそんなになるまで心を痛めつけて申し訳ないと私は後悔する。 彼は私といて、幸せと少しでも感じているのだろうか? もし感じていないなら、できるだけ早く私から離れていく方がいいのではないだろうか。 一人で考えていると、どうしてもマイナスな方にばかり考えてしまう。「蒼はどうしてそんなに障害についての知識があるの?」 結局私は、また彼に頼ってしまった。 本当は彼の時間を私のために使わせたくないと思っている。私が何かすると大概面倒なことになるから。毎回同じことをぐるぐると繰り返してしまう。「それは、穂乃果のことをもっと知りたいと思い、発達障害に関する本をたくさん読んだからだよ」 確かに彼は読書が趣味の一つでもある。それでも私はまた質問せずにはいられなかった。気になることをそのままにしておくことがやっぱりできない。「わざわざ私のために、一から勉強してくれたの?」「そうだ
私がどうして入院させられたのか、未だにはっきりとした理由がわかっていない。 誰も教えてはくれなかった。なぜか周りの人たちは不思議なぐらいそのことについて一切話してこなかった。 それは今後の私にも影響することかもしれない。原因がわかっていないとまた同じことが起こる可能性もあるから。 自分を守る行動をしっかりしたい。 その理由を確実に知っているのは、入院した病院だ。 そこに再び自分から飛び込んでいくという行動はやはりできそうにない。 もう私の意思とは関係なく、閉じ込められたくないから。 でも、電話でならなんとか聞けるかなと思った。 立ち止まっていてはダメだと思い、私はスマホを手にとった。 苦しみの中にずっといない方法を私は今探しているのだから。 それに入院理由を知ることで障害のこともわかるかもしれないから。「坂井 穂乃果と申します。ちょっとお伺いしたいことがあるのですがいいですか?」「はい。どうぞ」 電話口からは、明るいというよりは業務的な返事が返ってきた。「私は数年前にそちらの病院に入院していました。そのことで聞きたいことがあります」 きっと今私の声は震えている。 彼は隣で「大丈夫」と言ってくれている。「はい。どのようなことでしようか? お調べします」 電話に出た人は、そう言いながら私の生年月日や住所を聞いてきた。 電話の向こうからは、人が叫ぶ声が聞こえてきた。 その内容までわかるほど声は大きく、感情がもっていかれそうなぐらいひどいものだ。 それなのに、この電話に出ている人は慌てることなく淡々としていることに恐怖を感じた。 この病院にとって、今の状況は『特別』ではなく、日常なのだろうか。 そんな場所に私が以前いたかと思うと、ますます不安になってきた。「私がそちらの病院に入院した経緯を教えてください」「はい。少々お待ちください」 電話をしている間、彼はずっと私の手を握ってくれている。 私は、自然と彼の手を握る力が強くなっていた。「坂井 穂乃果さんですね。入院されたのは患っている障害により合併症がひどく現れたためです。それは主に希死念慮です。わかりやすく言えば自殺したい衝動が自分では抑えられない状態です」「ありがとうございます。あと、もしよければその患っている障害についても少しだけ聞きたいのですがいいですか?」
苦しみの真っ只中にいる人にとって、本当に必要なものとはなんだろう。 その人の心を支えられるものはなんだろう。 『優しさ』だけじゃ、まだ足りない気がした。 その時はきっと冷静にもなれないし、何かを正しく判断することも難しいだろう。苦しみの淵で一人でなんとか立っていられているだけなのだから。 その状態だと、優しさを受け取ることも難しい。 何もかもが無駄だったと頭が真っ白になっているから。 心にゆとりがないことが多かった私はそのことがよくわかる。 そんな時にも、心の奥まで響くものってなんだろう。 突然『光り』という言葉が頭に浮かんだ。 前触れもなく、そんな言葉が心にすーっと落ちてきた。それはとても不思議な感覚だった。 でも、嫌な感覚ではなかった。 もし全てを照らしてくれる『光り』のようなものがあれば、きっと人は苦しみにも耐えることができる。いや、もしかしたらそもそも苦しみと戦うことが間違っていて、それ以外の道があるかもしれない。 それがきっとその人の力となり、さらには心を救ってくれるものとなる。 でも、何が『光り』となり得るのだろう。 その答えを見つけるために、私は今まで辛い時何があったから頑張ることができていたか考えることにした。 自分が感じたことなら思い出しやすいだろうし、その時それでうまくいったのなら今後苦しくなっても何かの力になることがあるかもと思った。 それは、『言葉』だった。 記憶を辿るのに、時間がかかったけどしっくりくるものが見つかった。 基本的に一度ではわからなかったりできない私に、何度も何度も同じ言葉で励ましてくれた人がいた。そんな人は多くはいなかったけど、まるでパーソナルトレーナーのように私のことをいつも気にかけて言葉をくれた。また、言葉を言ってくれる人は誰でもいいわけではない。私のことを本気で考えてくれている人限定だ。 その一人に、もちろん彼もいる。いや、私にとって彼が誰よりも一番大きな存在だ。 人によっては同じことを何度も言われることを、嫌に思ったりプレッシャーに感じる人もいると思う。 でも、私は逆にさっきの条件に当てはまる人にそうされると支えられている気がして、辛い時も頑張ることができていた。 『光り』となり得るものは、きっと一つじゃないから、私に合うものはこれなのかなと思った。 さらに、新しい発